Laura Branigan / ローラ・ブラニガン - 100Eighties.com

Laura Branigan / ローラ・ブラニガン
Biography

ローラ・ブラニガン(Laura Branigan、1957年7月3日 – 2004年8月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルースター出身の女性歌手。

Laura Branigan / ローラ・ブラニガンの活躍と経歴

演劇学校(アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティックアーツ)に通い始める。当時、Meadowというバンドでボーカルを担当し、1973年にはアルバム『フレンドシップ』を発表している。1970年代後半、レナード・コーエンのヨーロッパツアーにバックボーカルの一員として参加した。
これを契機に、1979年にアトランティック・レコードと契約し1982年、アルバム『グロリア』でデビュー。同アルバムからシングルカットされた『グロリア』、また1983年にはセカンドアルバムからのシングル『哀しみのソリテアー』が大ヒットする。

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1984年には彼女の最大のヒット作となるアルバム『セルフ・コントロール』が発表され、西ドイツ、アルゼンチンなど多くの国で第1位に輝く。同年4月、シングル曲『ラッキー・ワン』が第13回東京音楽祭にてグランプリを受賞した。また、シングルカットされたアルバムタイトル曲『セルフ・コントロール』のプロモーションビデオは、その過激な内容からアメリカのMTVで放送禁止とされた。(のちに解禁された。)硬質なビブラートのかかる5オクターブのパワフルな歌声と大柄な体格を生かしたダイナミックなステージアクションで人気を博し、世界各地をツアーしてコンサートを行ったが、特にラテン・アメリカ、南アフリカでの人気は絶大だった。また、もともとバーブラ・ストライザンドに憧れてミュージカルを志していたこともあり、映画やテレビドラマ等の出演作も多数ある。

1993年にアルバムを発表した後、癌と闘う夫の看病に時間を費やすため活動を減らし、1996年に夫が他界した後は数年間活動を休止した。

翌2002年に音楽活動を再開し、オフ・ブロードウェイでのミュージカル『Love、Janis』にジャニス・ジョプリン(の歌唱)役で出演したり、アルバムのレコーディングを進めたりしていたが、2004年8月26日自宅にて脳動脈瘤により死去。47歳であった。