Bruce Springsteen : ブルース・スプリングスティーン

Bruce Springsteen : ブルース・スプリングスティーン
Biography

ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen, 1949年9月23日 – )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ロングブランチで生まれ、フリーホールド育ちのシンガーソングライター。

アメリカを代表するロックン・ローラー。通称は「ボス(Boss)」。初期の作品においては、青春群像の描写に際立った才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込むことによって、アメリカ民衆の声を代弁する存在へと成長した。ウッディ・ガスリーの後継的な立場にあるアーティストの一人である。

Bruce Springsteen : ブルース・スプリングスティーンの活躍

デビュー当初は、「第二のディラン」というキャッチ・フレーズで、シンガーソングライター的な扱いでのプロモーションを受けたが、あくまでロックン・ローラーとしての活動にこだわっていた本人は、そのギャップに苦しむことになった。しかもセールス的にはまったく振るわず、クラブ・サーキット中心のライヴ活動に活路を求めた。

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1974年に、ライヴを観たロック評論家ジョン・ランドーは、リアルペーパー誌に「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」と絶賛のコラムを掲載する。そのランドーをプロデューサーに招いて製作された、翌1975年8月25日発売のサード・アルバム『明日なき暴走 (Born to Run)』は、Billboard 200の10位に入り、10月18日付けチャートでは3位に浮上する。シングルカットされたタイトル・トラックはビルボード・Hot 100の23位を記録した。また、タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾るという快挙も成し遂げる。

1980年10月17日、5枚目のアルバム『ザ・リバー (The River)』を発表。初めてアルバム・チャート1位を獲得し、リカット・シングル「ハングリー・ハート (Hungry Heart)」も初のBillboard Hot 100のトップ10入り。その後、約1年に渡るワールド・ツアーを敢行した。

1982年9月30日、6枚目のアルバム『ネブラスカ (Nebraska)』を発表。アコースティック・ギターとハーモニカだけで自宅にてレコーディングされた作品で、その内容も相まって大きな反響を呼んだ。

1984年6月4日、7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (Born in the U.S.A.)』を発表。アルバム・チャート(ビルボード)1984年6月23日付初登場9位、その後、1984年7月3日から4週連続で1位となり、間をあけて1985年1月19日に再度1位に返り咲くという大ヒット作となる。また、UKアルバム・チャートでも1984年6月16日付で初登場2位、1984年12月22日付では79位にまでダウンしたが、翌12月29日付以降再び順位を上げ、チャートイン36週目の1985年2月16日付で初の1位を記録。さらに6月1日付では14位までダウンするものの、7月6日付で再度1位に返り咲くという記録を達成している。アルバム中の1曲「ダンシン・イン・ザ・ダーク (Dancing In The Dark)」は、全米シングル・チャート(ビルボード)で4週連続第2位を記録した(1984年6月30日〜7月21日)。
アルバムは、全米で1,200万枚、全世界で2,000万枚の売上を記録し、発表と同時に行われたワールド・ツアーも大成功を収めた。1985年4月、初来日公演を行う。

同年、USA for AFRICAの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加。ソロパートを2度も担当している。

1986年には、1975年から1985年までのライヴ録音からベストテイクを集めたライヴ・アルバム『THE LIVE (Live/1975-85)』を発表する。LP5枚組、またはCD3枚組というボリュームにも関わらず、アルバム・チャート初登場1位という、前代未聞の記録を残した。

1987年10月9日、8枚目のスタジオ・アルバム『トンネル・オブ・ラヴ (Tunnel Of Love)』を発表。アルバム発表後ワールド・ツアーを行うが、ツアー終了後の1988年、デビュー以来バックを勤めて来たEストリート・バンドを解散する。